メンバー選びがどうでも良いとは思わないけれど, 私はその手の組合せ最適化主義によってチームの価値を裏付けるのを好まない. チームメンバーの組合せがよければ, 最初から良い仕事ができるのだろうか?
プロジェクト指向の組織は, プロジェクト単位でチームを集め, 解散する. "チームの記憶" に価値を認めるなら, こうしたプロジェクト単位のチーム構成がどれだけ散財なのかがわかると思う. プロジェクトを通じて蓄えた記憶の山を, 納品と同時に処分してしまう. シュレッダーにかけられた機密書類のように切り刻まれるチームの記憶.
様々な商業上の制約によって, チームを壊さなければいけないことがあるのもわかる. けれど無自覚にそれを破壊しているように見える場面に出会うことは多い. 本当にその解散は割に合っているのか? 無形の財を踏みにじりながら, ソフトウェアで価値を生み出していると胸を張れるのか?